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岡崎京子ファンサイト「BIG BOREDOM in WWW」のイケダのブログ。

id:dice_queさんの日記から。ページ自体は「おとなり日記」に何度か出てきたことがあったので知ってはいたんですが。書籍「東京大学「80年代地下文化論」講義 / 宮沢章夫」については、id:tachさんのところの掲示板id:nyaofunhouseさんも「漫画ブリッコの世界」で取り上げていましたが、私自身未読なので触れません。目についたのは下に引用する部分。


 また、あれは『宝島』を去ったすぐ後のころの話だっただろうか。兄妹誌『キューティー』で連載していた岡崎京子東京ガールズブラボー』がまとまって単行本になった。80年代初頭の、ニュー・ウェーヴに憧れていた地方出身の少女のごくありきたりの生活をギャグテイストで描いたものだ。ところが本作は、連載開始時から「事実関係が違うんではないか?」という、当時を知る人間からたびたび指摘を受けていた。それについては、岡崎氏が後年「実はピテカンとか大人ばかりで、怖くて入れなかった」と、かなりの部分が残されていた資料で描いたものであったことを告白している。あの作品は、80年代の“時代の気分”を語ることに意義があるから、細かな史実の再現など私は不問としたい。ただ、今の若い世代が80年代に教科書のようにして『東京ガールズブラボー』を読むという図式があるとすれば、それは作者にとって少々屈折した感情を抱かせる部分もあるのではと思う。なぜ、あの時代に岡崎氏が、ごく普通の若者みたいに夜の東京の街に飛び出していかなかったかについて、明確な理由は知らない。ただ、『宝島』のS編集長や私のように、サブカルの中心のような雑誌にいながら、どこか冷めてるというか、むしろ同族嫌悪のような気持ちを抱えながら、本を作っていた事実があるってことが、少しは理解の手だてになるのではと思うところがある。
彼女は私より6つ年上で、たとえば1983年には20才。「実はピテカンとか大人ばかりで、怖くて入れなかった」っていうのは言いえて妙だな、と思いました。東京の遊び場の年齢層は今よりもっと高かった、と想像し記憶する私です。そして、だからこそ岡崎京子が信じられる作家だと改めて感じました。