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岡崎京子ファンサイト「BIG BOREDOM in WWW」のイケダのブログ。

id:tachさんの8月12日のテキストから。私は現代詩にも文学・文芸にもトンと疎いんで、ここに引っかかるのもちょっと面映いんですが…。


小説などの文章表現ではなく、詩に向かった、というのは、なんとなく納得します。詩とはあくまで便宜的な選択で、「言葉」に興味が向いたのだろうな、と推察します。それも言葉を操り、饒舌に語るわけではなく、シンプルな言葉にどれくらいの情報を詰め込めるのか、シンプルな言葉からどれほど豊穣なイメージを展開できるのか。それは読み手・受け手とコードが共有されてこそなわけで、ポピュラリティからは離れてしまう可能性を含んだ、リスクを負ったものではあっただろうけれど。


「漫画には批評がない」と嘆いていた彼女(参考リンク:D-Pepper:批評家不在の漫画文化)の、漫画を用いた表現の冒険の予感、と書くと、格好つけすぎですか。そうですか。


出来上がるものがメッセージアート的なものになっていただろうとは思わないけれど、シンプルであるが故の強度を持ち、漫画・コミックが「サブ」ではなくメインカルチャーとして語られる機会に成り得たんじゃないか、と書くと、ロマンチック濃度が濃い感じですか。そうですか。